2006年11月29日作成
家に向かう車内で妻は次男を抱えたまましきりに涙をぬぐっていたけど私は何も言葉をかけられなかった。
‘第一次硝子体過形成遺残’という単語だけが頭の中をくるくる回っていた。
これは一体どう意味だ?一次というからには2次もあるのか?硝子体とは目玉を言っているようだけど過形成遺残とは何なのだ?
過形成になったら病気になるのか?頭がぼっとしていたけどネットで検索すれば良い治療法があるだろうと考えた。
ネットで検索すれば情報も多いし、きっと有効な治療法があるはずだ・・・
一つ引っかかったのは先生が手術したら治るという風に言ってくれなかったことだった。
研修医(レジデント)だからまだ分からないことも多いのだろう・・・こんなに医学が発達している現代なのだから手術を受ければきっと治るはずだ・・・と自分自身を励ました。
家に戻ってくるや否やどうなったのかと聞く母の問いにとても答えることが出来ず、その時になって初めて涙が溢れだした。
部屋に一人こもって泣いた。妻を慰めなければいけないのに自分はなんてざまだ・・・しかし次男が可哀そう過ぎて泣いた・・・
少し落ち着いてネットを漁ったけど、以外に情報が少なかった。病名がこれじゃないのかと思えるくらい・・・
韓国、日本の両方のサイトを検索し始めた。少し情報があるにはあったけど韓国よりは日本の方に情報が少しばかり多いように思えた。
ただ、満足できるような情報はあまりなかった。
いろんなサイトで‘第一次硝子体過形成遺残’について理解して行くうちに私を絶望に追いやったのは現代医学では原因も分からず治療法もないという事だった。
日本のあるブログの同じ病の赤ちゃんが左目の手術を受けた後、良く見える方の目をアイパッチで隠して生活しながらPHPVを患っている方の目の視力を少しでも回復させる事が出来るという方法は分かったけど視力の回復度はとても少なくそれも可能性が高い訳でもなく、さらに目が顔の成長に追い付けず外見上、悪くなることになる可能性もあるという。目の大きさを外見上の顔の大きさに合わせるためには義眼を付けなければならないけど、そうしたらその目は永遠に物を見ることは出来ないと書いてあった。
そのブログのパパ、ママも難しい選択を迫られ少しでも視力を回復できるというのであればと手術を受けるという決心をし、一生コンタクトレンズを付けアイパッチで目を隠し想像を絶する苦痛に耐えながらも世の中を見るために努力をしている最中だった。
いろんな情報があったけれど結論としてはこの病は全世界どこに行っても完治させる方法はないとう事だった。
希望が持てるような情報はほとんどないこの病を知りながらまた涙を流した。
医師達は最悪の状況を説明する場合が良くあるので来週の火曜日に専門医が診察したら意外となんでもないかも知れないからあまり心配せずに待とうという父と弟の話を聞きながら本当に切実にそうであることを願った。
その夜、寝ていてふと目が覚め今おきている事がすべて夢ではないだろうか・・・どうか夢であって欲しいと願った・・・