病を宣告される

2006年11月29日

次男が肺炎で入院してから退院後に次男が1ヶ月前に生まれたソウル衛生病院で完全に治ったか診断を受けるために11月24日金曜日に病院に行った。X-ray撮影結果、きれいに治ったというお話を頂き軽い気持ちで家に向かおうとしたけど、以前から妻が次男の左目がちょっとおかしいという話をしていたので眼科診療も受けるとこにした。

どうってことは無いだろうと何の心配もしていなかったけどお医者さんが言うには左目にWhite eyeが見えると言う。

きちんとした検査をするには時間もかかるし再検査も必要になるかも知れないのでこの際、小児眼科で有名なソウル大学病院に行ってみてはと勧められた。

家に向かいながら疲れているから明日にしようか・・・それとも他の近い病院に行こうか・・・と考えた。とりあえず、近くてネームバリューのあるソウルASAN病院に電話をかけてみたけど来年の1月まで予約が埋まっていて診察が不可能だと言う。

仕方なくソウル大学病院に電話をしたら状況を詳細に聞いた後、すぐに病院に来るようにと言われた。

この時までは本当に何の心配もしていなかったけど、病院の方から早く来るようにと言われ少し心配になってきた。

病院で赤ちゃんが眼を開けるまで目薬を差して待ちながらその時ようやく次男の左目をまじまじと覗き込んだ。

言われてみれば左目の黒い眼球の中に若干白い球体が見える。

眠くてお腹が空いた次男を寝かせる事も出来ず、眠くて眼も開けられないのに無理やり目薬を差して待つ事を繰り返し・・・

約1時間を待った後、強制的に眼を開けさせて検査する事となった。看護師さん達が次男が動けないように掴み、眼を開けさせる器具で無理やり次男の眼を開けさせていた・・・

今まで聞いた事の無い次男の苦痛に満ちた鳴き声に妻は顔を背け、私は居ても立っても居られなかった。

とにかく早く診察が終わってほしい・・・

しかし、今度は超音波検査室に連れて行かれ閉じた左目に何やらゼルみたいなものを塗って、超音波カメラで容赦なくまぶたの上から押して撮影をした。ここでも次男の鳴き声は止まず・・・

超音波検査が終わった後はまた眼を無理矢理開けさせて検査をした。今度は妻に次男の頭を押さえつけるように指示され妻が頭を押さえていたけど次男の凄まじい泣き声で涙ぐんだ。

長かった苦痛の時間が過ぎ、お医者さんが私と妻を別途呼び出し妻は椅子に座るように勧められた。

少しばかり話しにくそうにしながらも淡々と症状を説明してくれた・・・

“赤ちゃんの左目がお腹の中から2ヶ月ぐらいになったとき、必要ない部分は無くなり、必要なところは成長しなければいけないのですが成長が止まってしまっています・・・難病で視力は期待出来ません・・・今日早く来るようにと言ったのは合併症などが心配だったのですが今のところ合併症は無いように思います・・・ただ、この病の専門医が来週の火曜日にいらっしゃるのでそのときにこれからどうするか診察を受ける事にしましょう・・・”

今この先生はいったい何を言っているんだろう・・・とても理解出来なかった・・・眼が見えないなんて・・・

視力を期待出来ないなんて・・・

聞いてみたい事は山ほどあったけど何一つ聞いてみる事が出来なかった。

会計で次の診察の予約を済ませて先生のところに走って戻って正確な病名が何なのかだけをやっと聞いてみる事が出来た。

病名は“第一次硝子体過形成遺残”と言った。

# 第一次硝子体過形成遺残

PHPV(persistent hyperplastic primary viterous)