初投稿(日本に戻って来て思ったこと)

初めてWordPressでブログを作ってみたけど、高機能が故になかなか複雑で意外と難しいですね。慣れるまではしばらく時間かかりそうです。

初投稿をどうしようかなぁと悩んだのですが部屋を整理していて、昔(約20年前)書いておいたメモ書きが見つかったのでそれを載せてみようかと思います。

20年前の考えなので今とはまた違う思いもあったと思いますが、記録として原文そのまま載せます。

2003年9月30日火曜日作成

私は小学生の頃3年、高校を卒業してから6年そして今年また日本に来て7ヶ月になり、合わせると約10年間、人生の1/3を日本で暮らしていることになります。

まさに日本は私に取っては第2の故郷と言えるぐらい身近な存在だと思います。そんな私ですがそれでも日本での生活は外国人という若干浮いた存在というのは変わりがなかったと思います。

小学生の頃初めて日本に来て寂しい思いをしたのを覚えています。というのは家の近くの公園に行っても公園の中はがらんとしていて一緒に遊べる子供達がなかったのです。

その頃の家がいろんなビルが立ち並ぶ新宿というのもあるとは思いますが、韓国では家の外で走り回っている子供達がいっぱいいたのに対してその時から日本の子供たちはファミコンなどのTVゲームで外よりは家の中で遊んでいるのが多かったようです。

韓国で高校を卒業してまた来日することになったときには日本の漫画やアニメ、ゲームなどを思う存分楽しめるということでとてもウキウキしていました。確かに日本は漫画やゲームなど、一人で楽しめるカルチャーは十分すぎるほど充実していますが、その分他人との付き合い方にかなりのハードルを感じたことも多々ありました。

それは韓国と日本の文化の違いでもありますね。例えば、おごるというより割り勘が常識だったり、友達の家でもことわってからトイレに行ったり、飲み会での席で女性にお酒を注いでもらったりなどなど戸惑いを感じる場面はいっぱいあると思います。

まあ、こういうのはすぐに慣れるし、ここは日本ですから日本の慣習に従うのは当然です。

しかし、私が悲しく思うのは日本の閉鎖性です。アジア1の経済大国でありアメリカやヨーロッパ諸国と同等に渡り合える国であるにもかかわらず日本は他の国を受け入れる事を渋っていると感じるのは私だけでしょうか?

私が大学生の頃、日本語でコミュニケーションを取るのに支障がないにもかかわらず外国人だということで拒否されるバイトもいっぱいありました。今はどうかわかりませんがビザをもらいに入国管理局に行くとまるで不法入国者みたいなひどい仕打ちを受けたときもありました。そしてこれは今でもそうですが日本で賃貸住宅を借りるというのはとても困難です。日本で大学を卒業し合わせて10年も日本に住んでいてもただ外国人ということだけで借りられない家も多かったです。

特に日本はアメリカなどには多大な関心を寄せているものの韓国や他のアジアの国にはあまり興味がなかったように覚えています。韓国は日本を良きライバルや一番近い国として認識しているのに対し、そのとき知り合った日本の若い人たちは韓国と言ったらショッピングが安い。程度の認識でした。

私が大学を卒業し帰国するときはそんな日本に疲れていました。本音と建前が違うことに疲れ、世界1物価の高い生活に疲れ、多分もう日本に帰ってくることはないだろうと思いながら帰国していきました。

しかし、時間が経つにつれ日本でのいい思い出や知り合った素晴らしい友達や知人などやっぱり日本は第2の故郷ということを思い出したのです。

私の日本人の友達の中ではハングルを熱心に勉強している人もいます。

私が軍隊に行くときには見送りに韓国にまで来てくれたりしました。

今回5年ぶりに日本に戻ってきて日本が5年前とほとんど変わってないところを見て懐かしくてとても嬉しく思いました。変化もいいけどこんな風に変わらないで続けて行けるところが日本の底力ではないかという気がします。

それに日本は以前より積極的に国際化に励んでいると思います。現に我々が日本でIT分野で仕事が出来るのはその表れだと思います。

日本で外国人という浮いた存在、その穴埋めをするということはもっと日本が国際化に取り組むことと我々外国人が日本で水を濁さないという両者が努力し合う事ではないでしょうか?


これを書いたときに10年、そして20年ぐらい経っているので合計すると約30年ぐらい日本で住んでいることになります。もう圧倒的に日本の方が長いですね。年月を考えるとめちゃくちゃ歳取っているなぁ〜。w

今は子供も3人出来て、子供の成長を支えながら相変わらず平和な日常を送っています。

そんな日常や思ったこと、はたまた自分が好きなコスパの良い情報などを発信していきたいと思います。